福島第一原発で事故がおきて、3年が経過しました。1986年のチェルノブイリ事故のあとで、地元新聞に書いたコラムを読み直したら、「事故直後、避難した人が13万人以上と聞いて、『日本だったら、こうはいかないわ。第一、そんなに大勢の人が半永久的に避難する場所が無いもの』と思ったものだ。でも事故から3年以上も経って『被害は本当はもっと大きい』と分かってきた・・・・・」と書いてありました。国土が狭くて人口密度が高い日本。福島原発事故では、同じくらいの人が避難して、今、「故郷に帰れない、避難先で定職に就かなくては」、「家を買いたいけど高過ぎて」、「帰れと言われているが、子どもがいるので不安」、「賠償を打ち切られて生活できない」などと、深刻化する一方の悩みを抱えています。
原発事故が万一起きたら、途方もない損害が生じることは分かっていました。だからこそ、原発推進は「国策民営」であり、国と電力会社は「原発は安い」「わが国の原発は安全です」と宣伝して来ました。でも起きてはならない事故が起きてしまった以上、被害を受けた人は、避難した人でも避難しない人でも、生産者でも流通業者でも、国と東京電力に、避難費用、仕事が出来なくなった損害、不動産損害、営業損害や慰謝料など、一切合財の請求書を回して、すべて支払わせるべきです。手段は、東京電力への直接請求、東京電力を相手方とした原子力紛争センター申立、国と東京電力を被告とした裁判です。被害者の方々が声を挙げるのであれば、そのお手伝いをしようと思って多くの弁護士が集まりました。それが原発被害救済千葉県弁護団です。
東京電力と国に対して請求書をださないまま、あきらめていませんか。わずかの賠償で、仕方ないね、と思っていませんか。どうぞ皆様、弁護団に連絡してください。お待ちしております。
福島第一原発の事故は、かつて私たちが経験したことがなかった未曾有の被害と損害を生じさせています。事故による被害があまりにも深刻であること、とてつもなく広範囲に及ぶこと、「ふるさと」・コミュニティが根こそぎ破壊されたこと、復旧・復興には長い年月と困難とが避けられないこと・・。しかも、歴代の政府と東電による、長年にわたる無責任な施策がもたらしたものにほかなりません。 2014年4月、フクシマ現地調査実行委員会が企画された現地調査に参加させていただきました。この時期に今一度現地に赴き、福島県民の皆さんの、怒り、苦悩、そして闘う決意に少しでも触れ、そのことを通じて私自身の闘志をかき立てる必要があると感じていたからです。 現地では、多くの住民の皆さんから話を伺うことができました。静かな語り口の中にも、「ふるさとを奪われた」ことへの深い思いと喪失感、それを一瞬にして破壊した者達への憤りとを、肌で感じました。町並みはほぼそのまま残されているのに人っ子ひとり住めないという光景の異様さ、5・9マイクロシーベルトを示していた測定器、山積みにされたままの除染による膨大な量のフレコン・・。ほんの一端とはいえ、このような現地の実情に接する機会を得たのは、かけがえのない体験でした。 千葉の訴訟は、全国的に見ても進行が最も早く、責任にも大変重いものがあります。今回あらためて知った深刻な被害の実態、そして、住民の皆さんの切実な思いをしっかりと受け止めて、一緒にたたかいを進めていこう。その決意を、新たにしています。
追伸
2013年5月、当弁護団の副団長であった秋元理匡弁護士が急逝されました。
秋元さんは、千葉弁護団の強力なリーダーの一人でした。それだけではありません。日弁連の原子力発電所事故等対策本部原子力プロジェクトチームの事務局長をつとめるなど、原発事故による被害救済のために、文字どおり全国を奔走していました。このホームページには、次の言葉を遺していました。
「原発事故被害は公害です。超大企業である東京電力の事業活動が行われている中で事故が発生し放射性物質が大量に放出されたのです。環境を汚染する物質を放出した東京電力は加害者です。それだけでなく、国は原発を推進し、いい加減な地震・津波対策しかせず、安全神話を振りまいてきました。そのような加害責任を明確にすることが大切です。」
私たちは、かけがえのない仲間を失いました。これからは、秋元さんの遺志をしっかりと受け継いで、国と東電に事故の責任を明確に認めさせ、被害の完全救済を実現するために、全力をあげて取り組んでいきます。
2013年12月に秋元理匡副弁護団長の後任となりました内藤です。
2011年3月11日、私は事務所で仕事をしていました。大きな揺れを感じ、直ぐにテレビで被害の状況を見ました。次々に深刻な被害状況が映し出されました。さらに、福島の原発で異変が起きているとの報道がなされました。
私はまさか日本の原発が大規模な事故を起こすとは思ってもいませんでした。
ところが、そのまさかが現実のものになってしまいました。
ヒトは、火を扱うことができるようになり飛躍的に進化したと言われています。火を使うことにより、身体を温め、調理を行い、夜間も行動し、多くの恩恵を享受し、文化が発達してきました。原子力も、それまでの石炭・石油に代わる未来のエネルギーとして、我々の生活を豊かにするものだと言われました。 でも、それは我々ヒトが原子力を扱うことができて初めて実現することです。原子力が一旦暴走を始めたら、ヒトはこれを制御することはできません。世界でトップクラスの技術力と言われていた日本においても、原子力をコントロールすることはできませんでした。 我々が制御できない、扱うことのできないような原子力を利用すべきでありません。 悲惨な原発事故発生からすでに3年以上が経過しました。 避難者の方の帰還の目処は全く立っていません。そして現在も、人的物的被害は発生し続けています。私は松戸市に住み、松戸市で仕事をしていますが、事故後松戸市はホットスポットと言われ、局地的に高い放射線量が検出されました。私も家族も、既に被爆しているかも知れません。 原子力発電事業者である東京電力も、これを国策として推進・援助してきた国も、取り返しのつかない過ちを犯したことを素直に認め、そして、できるだけの償いをすべきです。 避難者の方のために、次の世代を担う子どもたちのために、戦っていきたいと思います。
原発被害救済千葉弁護団は,福島第一原発事故からおよそ半年後に,千葉県弁護士会の有志40名で発足し,2014年6月現在,60名で活動しています。これまで,原発被害者の救済に向け,被害の相談,損害算定,東電への請求,ADR,訴訟代理など様々な活動を行っています。今,千葉地裁には,原発事故で千葉県に避難されている被害者47名が原告となって,東京電力と国を共同被告とする第一次,第二次の集団訴訟が係属し,これまで合わせて10回以上の口頭弁論などが開かれました。
このような集団訴訟は,北は札幌から南は福岡まで,全国二十数か所の裁判所に原告6500名以上が提訴またはその準備を進めています。中には,福島から沖縄に避難し,福島地裁に原発損害賠償を求めて提訴している被害者もおられます。このような集団訴訟の目的は,原発事故で被った損害の完全な賠償を実現するとともに,このとてつもない原発事故を引き起こした国と東電の法的責任を追及し,二度と再び同じような悲惨な事故を起こさせないことにあります。「謝れ,償え,無くせ原発」を合言葉に,全国の原発被害者と弁護団,さらには,共鳴する支援者及び多数の市民たちが立ち上がり,司法の場で原発事故の究明と救済に向け,国と東電と闘っています。
国や東電が,過酷事故は起きないとの安全神話を振りまいて進めた原子力発電は,東日本大震災という自然災害の前に核燃料を制御できず,あっけなく放射能大量飛散という過酷事故に至りました。事故自体の収束も未だ見えない状況です。この事故は現在進行形であることを,もう一度皆様に訴えたいと思います。
私たちの闘いは,地震・火山等災害大国日本で果たして原発を安全に稼働することなど出来るのか,を問う裁判闘争でもあります。さる2014年5月21日,大飯原発稼働差止を命じた福井地裁は,このことに正面から向き合い,日本では万が一にも原発事故が起きないという保証はどこにもない,と断言しました。司法は生きていたのです。私たちは,再びこの福井地裁のような判断を勝ち取ることを目標にまい進したいと思います。裁判の傍聴など,皆様のご支援を心からお願いたします。