原発被害救済千葉県弁護団
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藤井・滝沢綜合法律事務所

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原発被害救済千葉県弁護団
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原発被害救済千葉県弁護団からのご挨拶です

 

ご挨拶 弁護団長 福武 公子

2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴って東京電力福島第1原子力発電所では冷却材喪失による燃料溶融(メルトダウン)事故が起こりました。圧力容器も格納容器も破損して膨大な量の放射性物質が大気中に放出されて地面に降り注ぎ、汚染水が海に放出され、町も村も、山も海も汚染されてしまいました。多くの住民が住居を追われ、農林水産物も汚染されて食べられなくなるという、深刻な大災害になってしまいました。「冷却材喪失事故」は福島第1原発のような軽水炉では起こりうるとされていた事故であり、日本でも1959年には「大型原子炉事故の可能性と公衆損害試算」がなされ、数百人の致死者・数千人の障害・100万人以上の要観察者・1兆円以上の物的損害という結果が出ました。しかし日本では「事故は起こらない」という思い込みのもとに原発推進政策がとられ、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故の後でも「過酷事故(シビアアクシデント)に対する対策を法的義務とはせず、地震対策とともに「各電力会社が自主的に対応する」ということで済まされてしまいました。1986年にチェルノブイリ事故が起きたときも、電力会社は「日本の原発は安全です」と宣伝し、事故の発生・拡大を防止する対策をとらず、住民の避難訓練もほんのわずかでした。だから、福島第1原発事故が起きたとき、東京電力も政府も、泥縄式の対策しかとれなかったのです。日本は国土は狭く、人口は多く、しかも地震大国です。福島第1原発事故は明らかに人災です。私たちは、東京電力の責任を徹底的に追及し、同時に、政府の責任を問わなくてはなりません。私は高速増殖炉もんじゅ訴訟弁護団事務局長をしていましたが、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して燃やす核燃料サイクルは、いまこそやめさせなくてはなりません。

現在も溶けた核燃料は崩壊熱を出し続けています。水をかけて冷やさなくてはなりませんが、注水すればするほど汚染水は地下水と混って増加し続けています。大気中へも放射性物質は、少なくなったとはいえ、出続けています。私たちが安心して住むためには、居住場所の除染をしなくてはなりません。また汚染された飲食物は流通させないようにしなくてはなりませんので、生産者の被る打撃は深刻さを増しています。被害回復には何年、何十年、何百年とかかるでしょうが、私たちは生きて行かなくてはなりません。東京電力と政府に対して、全面的な被害救済を求めようではありませんか。
 

ご挨拶 副弁護団長 中丸 素明

1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットは、生物多様性条約を制定するなど、画期的な成果をあげた会合でした。このとき、12歳の少女セバン・スズキさんは、次のように訴えたのです。「直し方の分からないものを、これ以上壊さないで!」。福島での原発事故の報に接したとき、真っ先に思い浮かんだのが、彼女のこの言葉でした。未だ誰も、この少女の問いかけに有効な答えを示せないでいます。そして、この度の未曾有の大惨事を惹起せしめてしまったのです。

原発事故による放射能汚染は、最大にして最悪の環境破壊です。ボクは、1981年の弁護士登録です。これまで労働事件をライフワークをしながら、いくつかの公害・環境問題にも取り組んできました。千葉川鉄・大気汚染公害訴訟(「あおぞら裁判」)、三番瀬・違法公金支出差止等住民訴訟、西船橋マンション日照権・公害調停申立事件、成田ゴーカートレース場騒音問題・公害調停申立事件、そして現在も係争中の無駄な公共事業の象徴ともいうべき八ッ場ダム住民訴訟。弁護士会活動の面では、関東弁護士会連合会の公害対策・環境保全委員会の委員長を経験した後、ここ15~16年間は千葉県弁護士会の同委員会・委員長を「足抜け」ができぬまま務めています。そんな縁で、この弁護団に加わらせていただくことになりました。

これからは、ボクよりも若い皆さんに学び、引っ張ってもらいながら、東京電力に住民の皆さんが受けた被害を償わせるに足りる損害賠償をさせるために、精一杯取り組んでいこうと思っています。そして、個人的にはこの弁護団の活動を一つのバネとして、「原発なき世界」の実現を目指していく決意です。

 

ご挨拶 弁護団長 秋元 理匡

2013年12月に秋元理匡副弁護団長の後任となりました内藤です。

2011年3月11日、私は事務所で仕事をしていました。大きな揺れを感じ、直ぐにテレビで被害の状況を見ました。次々に深刻な被害状況が映し出されました。さらに、福島の原発で異変が起きているとの報道がなされました。

私はまさか日本の原発が大規模な事故を起こすとは思ってもいませんでした。

ところが、そのまさかが現実のものになってしまいました。

ヒトは、火を扱うことができるようになり飛躍的に進化したと言われています。火を使うことにより、身体を温め、調理を行い、夜間も行動し、多くの恩恵を享受し、文化が発達してきました。原子力も、それまでの石炭・石油に代わる未来のエネルギーとして、我々の生活を豊かにするものだと言われました。 でも、それは我々ヒトが原子力を扱うことができて初めて実現することです。原子力が一旦暴走を始めたら、ヒトはこれを制御することはできません。世界でトップクラスの技術力と言われていた日本においても、原子力をコントロールすることはできませんでした。 我々が制御できない、扱うことのできないような原子力を利用すべきでありません。 悲惨な原発事故発生からすでに3年以上が経過しました。 避難者の方の帰還の目処は全く立っていません。そして現在も、人的物的被害は発生し続けています。私は松戸市に住み、松戸市で仕事をしていますが、事故後松戸市はホットスポットと言われ、局地的に高い放射線量が検出されました。私も家族も、既に被爆しているかも知れません。 原子力発電事業者である東京電力も、これを国策として推進・援助してきた国も、取り返しのつかない過ちを犯したことを素直に認め、そして、できるだけの償いをすべきです。 避難者の方のために、次の世代を担う子どもたちのために、戦っていきたいと思います。

 

ご挨拶 事務局長 滝沢 信

私は出身が福島県です。弁護士生活27年目になります。私自身、事故発生以来度々福島県を訪れて被災者や事業者の個々の法律相談等を担当してきましたが、千葉県内にも沢山おられる避難者や被害者を支援するには一人では限界があり、同じ思いの弁護士が結集する必要を誰もが抱いて来ました。2011年9月、所属する千葉県弁護士会の有志に呼び掛けたところ、40人を超える弁護士が参加してくれて、原発被害救済千葉県弁護団を結成することが出来ました。私はその弁護団の被害者の救済に向けた様々な活動の事務局を担っています。

この弁護団の目指す方向はただ一点。福島第一原発事故の被害者の完全な被害回復です。そのために何をすればいいのかを弁護団みんなで日々考え活動しています。

2011年3月11日の地震と津波はそれ自体が途方もない災害でしたが、それに追い打ちをかけるように発生したのが東京電力福島第1原発の放射能大量放出事故です。政府・国会や民間における事故原因の究明作業は未だ途上ではありますが、被災住民は勿論、世界中に、この原発事故による被害を人災ではないと思う人は皆無ではないでしょうか。

福島県は、浜通りの原発群はもちろん、只見川の水力ダム群等、首都圏への電力の一大供給地域であり続け、特に福島原発誘致には様々な不安を抱きながらも、国や東京電力の安全対策を信頼してこれを受け容れた歴史があります。今般の東京電力の原発事故への杜撰かつ横柄な対応は、そのような福島県民や歴史に対する挑戦と言わざるを得ません。目指す目標の達成に向けて弁護団事務局長として全力を傾注する覚悟です。
よろしくお願いいたします。
 
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私たちは千葉県の弁護士からなる弁護団です。

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損害賠償請求の手続について、具体的にどのような流れで手続が行われるかを簡単にご説明いたします。

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